桜見て思い出す

べつに花見がしたいわけではない。桜前線も気にならない。森山直太朗にも感動しない。でもふと道端に咲きほこる桜を見ると、立ち止まってしまう。うーん日本人だねぇ。

 

思い起こせば高校時代。わたしの母校はちょっとした桜の名所だったのでした。
関東の桜は、だいたい春休み中に咲いて、新学期が始まる前に散ってしまうのですが、5、6年に一度くらいは春の訪れが遅く、学校が始まるまで花がもっていることがあります。

 

わたしが入学した年は、そんな開花の遅い年でした。
入学式の日まで満開の桜が咲き残り、桜吹雪ということばそのままに、花びらは雨雪のごとく降りそそいでおりました。
どこまでも青い空と、永遠に尽きることなく思えた花びら。思えば15才のわたしは、生まれて初めて桜というものに感動したのでした。

 

桜が入学式の日に咲いているか? 
というわけで、それはその後の高校、大学時代、そして教員だった15年間を通して、わたしの関心事でした。何年かに一度だけ、桜の木の下の新入生を見ながら、あの日の自分を思い出す。すっかりリリカルなおやじなのです。

 

高校2年になる直前の春休みに、わたしは例の学校の桜の木を描いたのでした。
そう、油絵を描くのが楽しくてしかたのなかった時期、あきれるくらい毎日写生に出ていましたっけ。

 

桜の下でイーゼルを立てていると、むこうから事務室のお偉いさんがやってきて、趣味なのでしょうね、カメラであちこち撮りはじめました。
今なら勤務時間に何してるんだと、文句のひとつもいわれそうですが(昨今は公務員はいじめていいことになってますから・・)、まぁ当時はそんなぎすぎすした世の中ではなかったということですね。

 

ひとしきりあちこちをフレームにおさめた後、彼はわたしの後ろに立って一言。
「その絵を入れて桜を撮りたいんだけど、君どいてくれる?」
16才のわたしですら、ずいぶん失礼なおやじだと、そう思ったくらいですから、あんまり丁寧な言い方ではなかったんでしょうね。(まっいいんだけれど、ろくな思い出じゃないなぁ)

 

さて、その時の絵は今どうしているのかといえば、なんとオーストラリアにあるのです。

 

当時母校にいた留学生のマイケル・J・クローリー君。
いつも駅前のゲーセンにたむろして、「カワイイコイナイカ」「ワタシハスケベガイジンネ」などとのたまっていた愉快な男でしたが、こいつが「タグゥチィ(彼はわたしをこう呼ぶのです)、オマエノエヲ、クレヨォ」とねだるのですよ。
それでまぁ、桜の絵なら日本っぽくていいだろうと、帰国祝いにあげてしまったのでした。

 

絵を渡した時、彼は異国の人らしくしっかりとこちらの目を見つめて(目の奥まで透けて見えそうな青い瞳でしたっけ)、抱きつかんばかりに顔を寄せ、そしてものすごく脱力するイントネーションで「タグゥチィ、オレハァ、ウレシイヨ」と言ったのでした。

 

ほんとにまだあるのかなあの絵。捨ててないだろうなマイク?

 

2004/4/1